−東洋繊維さんの事業内容を教えてください。

津山で肌着類の縫製加工と衣類の販売ですね。
それを約50年、この林田町で続けています。
もともと私は津山のこの地域、林田町あたりを繊維加工会社が集まる集積地にしようと考えていました。
最近は中国からの安い繊維製品が大量に輸入されているので、地域の特色を活かしながら生産をしていかないと生き残ることができないと思います。地域全体で新製品のアイディアを出し合い、助け合うと言うことですね。これは今の『美作大学技術交流プラザ』の考え方に繋がっていると思います。
−その思いで開発されたのが『ミフラー』でしょうか。

いえ、最初の開発商品は介護用のポロシャツの『ミポロ』です。
今までと同じ考え方で開発・生産を続けていたのでは、先細ってしまうのは間違いありません。
ならば新しい視点で、みんなのアイディアを出し合って何か開発をしようと、それで『ミポロ』の開発をはじめました。
−どのような経緯で『ミポロ』の開発は始まったのですか?

もともと『ミポロ』開発のお話はつやま新産業開発推進機構から頂きました。でも実は「作ってみました」的な商品開発なら、私断ろうと思ってたんです。
お役所ではよくあるじゃないですか、とりあえず作ってみました的な商品の開発が。
それって税金の無駄ですしね。
それじゃぁ意味がないだろうと。作ってみるだけではダメ、産業として認めてもらわないと意味がない。それなら買ってくれるところがある、つまり売れる商品でないと意味がないと思いました。
そうしたらつやま新産業開発推進機構さんも「そのとおりだ」と、真剣に消費者に受け入れられるものを作ろうと、そんな考えでしたので『美作大学技術交流プラザ』に参加させていただいて商品開発を始めました。
またその時にですね、ただ売れる商品ではこれもまた意味がない、何かこう社会的に必要とされるものを新しく開発して行こうと、そういう話になりました。
そこでお年寄りや体の不自由な方の介護用の服を開発しようと決めて、『ミポロ』の開発に取り組みました。
−『美作大学技術交流プラザ』はどのように活用されたのですか?

介護用の服となりますと現場の意見が絶対に必要です。
要するに介護する人とされる人の意見を汲み上げないと、こと介護用の服に関して言えば現場の意見が活かされないと絶対に良い商品は生まれない。
そこで『美作大学技術交流プラザ』に協力を依頼して『民』の声として特別養護老人ホーム『日本原荘』の寮母さんの全面的な協力を頂いて、開発中のポロシャツを実際に使用していただきながら介護の現場の声を活発に教えていただきました。
もう本当に寮母さんや『美作大学技術交流プラザ』のほかの皆さんも一緒になって手探りで開発して行ったんです。
このように現場の意見やいろいろな立場の人の意見を定期的にダイレクトに教えていただけて、その意見が新商品開発の大きな原動力になったことが『美作大学技術交流プラザ』に参加して一番良かった点です。
−具体的にはどんな意見が集まったのですか?

そうですね、着替えをする時にかぶり易いように前が大きく開く。それから腕を通し易いように腕繰りを前の方につける、乾き易い素材にする。本当にさまざまな意見が出ました。
その結果、例えば『ミポロ』の素材は皆さんの声を聞きながら結局4度変えました。
本当に次々と貴重な意見を頂きました。
−なるほど。

それからですね。私長い間繊維加工の仕事をしていますけど『売るだけ』が目標ではない商品開発は初めてでした。開発した『ミポロ』は介護をしているユーザーさんの声から、より便利で機能的な商品の開発を目指した典型的なプロダクトインの開発商品、つまり社会的に求められているから生まれた商品です。
そうすると会社の会議で生まれない発想や意見が次々出てくる。これは新鮮でしたし貴重な経験でした。もちろんユーザーベースだけで開発をすると問題はあります。でも『売れるものほど良い商品である』と私は考えてますからそれを乗り越えて、『ミポロ』商品化に成功しました。
もともと私は新しいものに挑戦したいとずっと考えていたんです。
ですので、この『ミポロ』開発は大きな自信になりましたし、やって良かったなと、そう考えています。
−これから目指すことは何でしょうか?

やはり地域でしょうね。
私、地域での強い産業興しをすることが夢なんです。
自分の生まれ育った津山で、繊維を基にして地域興しに貢献がしたい。
そして雇用・納税の両面で地域に貢献がしたい。そう考えています。
この地域がユニバーサルデザインの服の産地になれば、それは素晴らしいことじゃないんでしょうか。

お忙しい中、本当にありがとうございました。
